日本における住宅金融の経緯 ① 戦後~昭和40年代


■ 今回のポイント

  • 戦後、庶民に持ち家を持ってもらう政策の一環で昭和25年に住宅金融公庫が設立されました。
  • 銀行は、高度成長期には個人への住宅ローン融資には積極的ではありませんでした。

日本における住宅金融の経緯 ① 戦後~昭和40年代

日本の社会構造は、実は第二次世界大戦後より戦前のほうが資本主義的だったといわれています。極めて単純化すれば、大資本家が幅を利かせ、そのもとで労働者がこき使われる構図だったと言えます。
住宅についても同様で、持ち家世帯は全国で2割程度、都市部ではそれ以下であったと云われており、庶民に住宅取得のためのお金を貸す制度も機関もほとんど存在しませんでした。

戦後、絶対的に不足していた住宅を建設・復興するにあたり、GHQによる財閥解体や農地解放による民主化の脈絡の中で、経済的に困窮していない人たちには自助努力で持ち家を持ってもらおうという趣旨で、昭和25年6月に住宅金融公庫が設立され公庫融資が始まりました。

当時は、公庫融資の事務を行うにあたっては、法人向けオンリーとはいえ与信審査や債権管理に長じている民間の銀行・信用金庫などを活用するのが最適であったので、いわゆる公庫融資の代理貸しという仕組みが導入されました。

しかし当時は、マクロ経済的には戦後の産業復興が最優先され、銀行などの業務も産業向けに傾斜しており、小口金融を効率的に処理するコンピュータシステムも存在していなかったため、昭和30年代前半にはこの代理貸し業務を一部の都市銀行が一時返上する事態が生じるほど、住宅ローンは民間金融機関にはなじみが薄く戦略的に取り組むメリットが感じられない分野だったのです。

昭和40年代に入ると、高度成長に伴う地方部から大都市部への人口の大幅流入と団塊の世代の世帯形成期が重なって持ち家需要・住宅ローン需要が急増しました。当時の住宅金融公庫融資は予算的制約があって需要を十分に賄いきれなかったこと、および民間銀行などが代理貸しを通じて審査・事務ノウハウを修得したことから、銀行子会社として住宅金融専門会社(いわゆる住専)を相次いで設立し、独自の住宅ローン供給を開始しました。

しかし銀行子会社ということからも分かるとおり、当時の銀行は相変わらず需要が旺盛な産業向け資金供給を優先していたため、子会社である住専に法人資金として貸し付け、住専はそれに利鞘を乗せて転貸する仕組みであり、エンドユーザーにとっては相対的に高い利息を求められるものでした。

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